文弱自転車

ロードバイクと文弱の価値

「春は花夏ほととぎす」を詠んで「愛の不時着」をみた。

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Nikon Df Micro-Nikkor105mm 1:2.8 S ;   F4 1/ 50 ISO200

梅雨の空でいつ降り出してもおかしくない。雨の日はロードバイクに乗らない、いかにも惰弱なロードバイク乗りだが、ロードバイクでは楽しむことにしているので、今日も乗らない。
一日が過ぎて、雨、降らなかったなと、庭に出てみたら、クローバーの茂みが素敵だと思い、写真におさめた。これが暗くなる前。

それまで、今日は休日なのだが、ロードバイクに乗らないから外にも出ず、Netflixで「愛の不時着」をみていた。おじ様にとっては顔の赤くなる題名だが、色々と反響の出ている韓国ドラマ。

気が強く周りを振りまわす財閥令嬢が、ハングライダーで北朝鮮に不時着した。これまたよんどころない家系の青年将校と令嬢が純愛に落ちていく。事情がはっきりしないけれども、なぜだか主婦連合が助ける。今日は第5話まで見てしまった。

こんな、平和な時間が流れていたので、道元の和歌を詠みたいと思ったのだろう。

松本章男著 『道元の和歌 - 春は花 夏ほととぎす』  (中公新書 ) 、を開いた。

なぜといえば、道元に触れてみたいと思ったから。道元は厳しい禅僧であり、思想家であって、正法眼蔵という書を残している。これを折に触れて、開いては、途中で難しくて中断し、また開いて、何度もこんなことを繰り返している。

どんなときに、折に触れるのかと、問われると、感覚でしかないけれど、少し余裕ができて、その行為に意味とか結果を添えずとも良いときだろうか。今日は、これにもまして、その道元の和歌を詠みたかった。

その歌は

春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり


尋ねいる深山の奥の里ぞもとわがすみなれし都なりける

 著者松本章男氏によると、道元は60首くらいの歌を残した。この中で、上の二首は鎌倉に招待されたときの歌で、これ以外は詠まれた場所と日付がはっきりしていないそうである。宋に渡って25歳で悟った後、帰国して都で活動し、43才の時には越前に移って永平寺を開いた、その数年後の頃である。

最初の「春は花夏ほととぎす」は川端康成ノーベル賞受賞講演で最初に吟じた歌である。わたしは、つい最近までそのことを知らなかった。

川端康成によれば日本の四季の美しさを読み込んだとのことで、同氏の心の支えだそうだ。

でも、わたしには、四季の美しさで云々と、読み味わえない。四季を愛でるのとは違う道元の心の中を感じる。なんだか不遜なことを言ってるようで気が引けるけれど。

ただ、春は花が咲いて、夏はほととぎすが鳴いて、秋は月が綺麗で、冬は雪があってね、寒いですね。と言ってるだけど。意味があるのかな。これが四季の美しさだとの主張なんてない。ただ、我が身があるこの世を言葉にしただけ。さて、ではなぜこの歌が口から出てきたのだろう。

次の「尋ねいいる深山の奥の里ぞ」とあわせてみればなんとなくだが、わかるかも。このわたし道元が修行の場と定めた山深い地であっても、もともと住み慣れた都のようであるよ、と、言ってるだけだが。

招待された鎌倉で権力者たちを見るにつけ、道元は仏教者として、一人の人間として、目の前を歌にするとき、目の前の美しいものは、人とは関係なくあって、人はずっと前から美しいものと一緒だった。

わたし道元が深い山の奥での修行をと思ったわけもそんなところにある。ただ、美しいものだけを身の周りに置きたいからだけれど、そうなのだけれど、わたしは人で父と母がある、そうだとしても禅僧として出家までした。

みにくい争いはあるだろうが、わたしは人を信じたい。信じる証として、わたし道元の目には美しい自然や山深い里が見える、そうしてわたしを応援してくれる。

と、こんな気持ちであったのかなと。

季節の歌ではなくて、自分を励ましている歌なのだと思った。

おかげで私は正法眼蔵なんていう難解な書物を開けるし、どうあっても人なのだから、悩みもあるし、でも、道元でさえも自分を励ましていた。

今日見た「愛の不時着」もそんな応援のドラマのような気がする。