文弱自転車

ロードバイクと文弱の価値

文弱なロードバイクのある暮らし

ロードバイクに乗って、ラレーCRFを愛でて、ストレスが飛んでいってしまう。同時に、いろんな言葉が浮かんできて、そしてまたロードバイクで走り、楽しくなる。そんな感覚的な記事を書いてきたので、ここでまとめておこう。 

 

 

ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃

西行の桜の歌を、桜の下で走っている思い出した。

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

 これも桜の歌だけど、気持ちのさざ波の歌のようで、ロードバイクを感じて、私の気持ちも踊ったりしてるので、思い出したのだと思う。

 淡海の海夕波千鳥汝が泣けば心もしぬにいにしへ思ほゆ

 旅の時に涙を流した歌。

 やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。

 古今和歌集の序文、全てを貫いているかもしれない。

 紅旗征戎は吾が事にあらず。

 無関心のように聞こえるけれど、実は違うかなと思う。

花は愛惜にちり草は棄嫌におふるのみなり。

 道元の著書の一部、何かにつけて思い出す。

 あたかも激流の中へ飛びこむ泳ぎ手のように、冒険と危険の中へと身を投ずるものである。

 これはクラウゼヴィッツの戦争論にあって、人の意志は、熱かったりする。

すなわち僕はかつて子供であった!

 古寺巡礼で私にとって大事な一節。

n-tatsuro-roadbike.hatenablog.com

思想と言論の自由が必要な根拠

 

 本来無一物、何れの処にか塵埃有らん。

 論理を尽くしての熱い議論ではない、方向もあるようです。

花は愛惜にちり草は棄嫌におふるのみなり。

 きつい現実の世の中でも、道元は愛したようだ。

 

わたしは、かれのもとに行こう。かれは、わたしの師となってくださるであろう。

 

 

こんなこと、ブログで整理したい。

こんなふうに、思い出すことも、私としてはロードバイクで加速してるように思う。根拠はないかもしれない。それでも、実感としてこのようだ。ここもブログを書くことで整理したい。 

 

 

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