いつもの日差しはどこへと思いながら『潮風の下で』を開いた。
2014年の今頃の写真だけれども、強い日差しだったとおもわれる。
焼け付くように暑かったはずだ。
このところの雨続きは異常だとあらためて感じてしまう。
と、思ったら、レイチェル・カーソンの本が目にとまった。夜も遅いけれども開いて、拾い読みする。
やはり、はっとする文章があった。
それは潮がなかばぐらい満ちたころであった。あたかもそよ風が吹きわたったかのようにイリエガメの卵が眠る砂の上の草がそよいだ。
その夜は潮騒と水鳥の声のほかにはなにも聞こえてこなかった。風が眠っていたのだ。
陸上の声はほとんど聞こえない。虫たちの繊細なトレモロは、羽のキチン質のバイオリンが更けていく夜に奏でる春の前奏曲だ。
潮が引いていくのはすばやかった。水路を通って波打ちながら海へと走り去っていった。
(レイチェル・カーソン著 上遠恵子訳 『潮風の下で』 岩波現代文庫 P9〜20より)
異常な気象ではない、抱きしめたい情景が浮かんでくる。
(今日の写真データ Nikon Df Voigtländer58mm 1:1.4 ; F16 1/1000 ISO1600)
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