文弱自転車

ロードバイクと文弱の価値

やっぱり暑いのでロードバイクは止めてインドアで経済学

木の下のラレーCRF

木の下のラレーCRF

インドアで涼しく経済学

休日、でも午前中は仕事で、午後も相変わらず暑くて、素直にアウトドアでの運動は控えてインドア。そこで経済学の入門書を読むことにする。経済学なんて素人だし、読むのは入門用の新書。

写真は、先週乗って出たときの木影でのラレーCRFだけれど、遊び呆けていることに感謝しなくてはと思ったりして、もっと経済学を勉強しようと思った。

今、いるところは資本主義

私も読んでいただいているあなたも、資本主義社会で暮らしてる。資本主義は、自由の権利と、所有する権利が土台であり、この二つ無しでは資本主義は成り立たない。と、思う。

資本主義以前は、個人や家族で生産し、近しい関係の人が運搬や販売をしたり、あるいは自ら販売し、利益を得て、貯蓄して、次の生産に備える。このようなとき、周りから見られているから悪いお金儲けはできない。悪いことをしたら共同体の中で制裁を受けた。あるいは天からの罰があった。日本昔話でよく出てくる話だ。

資本主義の社会では、お金を元手に利益を得ようとする人と、生産する人が、別々となり、お金を儲けるためとの言い分で、生産のためのコストを抑え、販売額との差を大きくしようとする。そうすると生産者の取り分が少なくなる。

資本主義で豊かにはなったけど、報われない人々が出てくる。

経済学の誕生

こんな時に経済学が生まれる。資本主義が始まった頃。

個人が属する社会の豊かさを維持しながら、個人の豊かさをも保証できないだろうか。どんな原理がはたらいて社会が出来上がるのか。

それまでは周りの社会の豊かさと、個人の豊かさは良く見えていた。であれば、今このときも、その原理を見つけて、お金のやりとりと生産の仕組みを、明らかにし、社会の豊かさを実現可能たらしめることはできないだろうか。こんな素朴な疑問から湧き上がった思想が経済学であろうか。

こんな前置きどうでも良いが。『はじめての経済思想史』を読んだ。

中村隆之著 『はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書)』を読んだ。

経済学の思想のアウトラインを描き出す。この本では現代の経済の主役は金融としている。その上で、良い金儲けと悪い金儲け、という切り口で経済思想を語る。その歴史を、財産や余ったお金の所有者が主役から降りていく、という流れの中でとらえている。

良い金儲け

良い金儲けとは以下のアダム・スミスの言うことを根拠としている。
国を富ます原理は二つある、と、アダム・スミスは言う。

一つが自由競争の中で努力が評価され、分業しそれぞれの能力が高まり、互いに長所を享受しながら、豊かになっていく。

二つ目は自由競争の中でお金や労働力や技術の所有者が利益を追求すると、それぞれの所有者が持っているものが効率的に用いられる。

簡単に言うと、人々の努力と見えざる手の機能の両輪によって、社会が豊かになる。

さらにこの二つの原理が有効になるためには

●フェアプレイに則った競争の場であること。努力が正当に報われないといけない。
●資産を貸し出して利益を得ようとする行動が、良い用途に向く助けとなり、全体を富ませる。
●強者が弱者を支配せず、相互利益の関係である。

以上の三つを満足させなくてはならい。

悪い金儲け

悪い金儲けは、フェアプレイではない、資産が良い方向には向かわずに、ただただ資産家の金儲けだけになる、強者が弱者を支配する。

あれ、これは、今の世の中のことかな。

はじめての経済思想史

上の3点を拠り所とし、アダム・スミス、ミル、マーシャル、ケインズマルクスハイエクフリードマン、の経済学を、所有者が主役から降りていく流れを基本にして、紹介している。

最後に現代経済学に及び、金融と、今まさに仕事をしている個人とその組織が、離ればなれになり、仕事をする人と組織の社会的責任さえも危ないのかもしれないと述べている。

そして、アダムスミスの庶民の努力と見えざる手という説に帰ろうと言う。
あとがきでは、

私の国、日本で、どこに一番、未開花のアクティブさ、眠れる潜在能力があるかを考えたとき、それは若者、会社員、女性にあると思う。就職というレールにのらなければならない若者、会社という組織に縛られる会社員、家族的義務を暗黙に負わなければならない女性。彼ら・彼女らが、アクティブになれる環境を作ることが、経済学に求められているのではないか。

(中村隆之著 『はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書)』P223より)

 と、述べている。

読後感

経済学というと難解だ。わたしも何度も経済学の本を読んだ。難しく書いてある。

私は貧富の差を無くそうするのが経済学ではない、と思う。

お金の使い方や増やし方を教えるのも経済学ではない。

お金が使われる時に、利益を上げよといえば、賃金が抑えられ、価格を抑えてしまう。そうすると、働く人々は疲れる上に、報酬が少なくなる。

お金を使う事により利益を上げて、個人も社会も豊かになるにはどうしたらよいのだろう。

見えざる手によって、お金の使い方や蓄財が、社会にとってふさわしくするにはどうしたら良いのか、と考えるのが経済学だと感じた。

これから読みたい経済学の本

経済学とは面白いんですね。そう、個人のことも、経済学者は考えていたとは。資本論をもういちど読もうとおもう。

本棚には次の二冊がある。

資本論 経済学批判 第1巻1 (日経BPクラシックス)
 

 
二種類あるけれど、日経BP版は、伝統的な訳語にとらわれず新訳で読みやすい。だが、これが欠点で、解説書は伝統的訳語によっているから、新しい訳語との間で戸惑ってしまう。

あとは積んである

新訳 哲学の貧困

新訳 哲学の貧困

 

『新訳 哲学の貧困』は所有権という 資本主義の核心の所有について論じている。分厚くて哲学でもあるから、未だ数ページ開いただけ。

はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで (講談社現代新書)は、わかりやすい。少し難しい言葉は使ってるけれど、良い入門用の新書だと思う。こんな手引きがあると難しい本も読みやすくなって、非常にありがたい。


  (今日の写真データ)

  (Nikon Df Voigtländer58mm 1:1.4 ; F2 1/2000 ISO200)

にほんブログ村 自転車ブログ ソロツーリング(自転車)へ